Works西七条保育園 久保園長 インタビュー

ーーー1970年に開園されて以来50周年を迎えられました。記念誌も読ませていただきましたが、「地域に根を張る」という理念を感じます。
(久保)働く親たちの運動が実って公設民営というかたちで1970年に60人定員としてスタートしすぐに120人定員になりました。開設当初から「これが大切、これがいい」というものを自分たちで考え作り出していくという西七の個性が育まれていったように思います。
ーーー2011年に待機児童解消のために120人から150人への建替えをされました。その後も地域の要求に応え続けて定員を増やして来られましたね。
(久保)翌年に向かいに乳児棟を増築して定員160人に、2016年にはその南に分園を建てて190人になりました。今年の4月からは、高齢者施設、交番との複合施設として定員40人の第2園を開設しました。
ーーーこうした時間の流れの中で、地域の要望や子どもたちをめぐる環境や西七の保育も変化してきていると思いますが
(久保)そうですね、70年代は齋藤公子先生のさくらさくらんぼ保育園の「リズム」が広がってきた時で、私も実習に埼玉まで行きました。時代と共に保育の内容も変わってきていますね。
西七では「運動会・制作展・発表会」という三大行事を中心に日々の保育を積み重ねていってます。運動会は体を動かし運動能力を伸ばす、制作展は手先をしっかり使って五感を働かす、発表会は自分の思いを言葉で表現する。そこには0歳から年長までの遊びを通したストーリーがあって子どもの発達のポイントとして絶対に譲れないし、継続して取り組むことが大切です。
ーーー本園舎を建て替えるときには随分話し合われましたね。「人権とは?」というような事まで話し合われたそうですね。
(久保)そうですね。でも皆んなで充分に胃が痛くなるほどに話し合ったのが良かった。良く話し合うということは、伝統的に心掛けています。人権とは、人を大事にすること、、、昔はね、子どもの名前を呼び捨てにしてたんですよ。それでいいのかなって。咄嗟の時に出る呼び捨ては親しみでもあるわけですけど、色々な意見もあり人権については相当に学習をしてきました。
ーーー改築当時、大きい集団になるからこそ、小集団できめこまやかに子ども達を見たいと話し合われました。本園の建物についてお話しいただけますか?
(久保)去年なんかは200人も子どもがいたんですけど、そんなにいるように見えないってよく言われます。0・1・2歳が不用意に混ざらないようにゾーニングを心掛けたこと。ホールと食堂を真ん中にすること。乳児を上にするのか、下にするのかについては凄く論議しましたね。階段の登り降りで子どもの足腰や腕をしっかり鍛えられるというこれまでの実践があるから、2階に乳児を上げると決めました。どれも良かったと思います。
それと保護者にも話し合いに参加してもらったというのも大きいですね。園庭アプローチで、保護者のハイヒールに泥がついたままでは出勤しにくいとか(笑)
ーーー園庭は皆んなが集う居間、というのは今も変わりないですか?
(久保)そうです。門扉に電子錠がなくても全く問題ありません。それよりも入りやすさが大切で、地域の人やOBさんに気軽に立ち寄ってもらいたい。そのためには、事務室の位置は大事ですね。保育園を出入りする人、子どもはもちろん保護者や職員の声掛けの大切な場所。そこで得た情報もですが、情報は必ず職員同士で共有して誰か一人しか知らないという状態を作らないように気をつけています。
園庭の子どもたちの様子を見ながら事務ができる、事務室の机の配置も良かったです。これも話し合いの通りです。
ーーー分園「よつばのおうち」は実質的に幼児の創造活動の空間として使われていますが、
2017年に創遊館と名付けられたということですが、そこでの活動をご紹介いただけますか?
(久保)西七の卒園児は、20歳の集いまで保護者と共に全員がOB会に加盟することになっていて、交流会も年1回学年毎に行われてます。そんな中で出てきた保護者からの強い要望や地域の声がきっかけです。子どもが小学校へ上がった途端、送り迎えがなくなるため残業や出張など親の仕事のウェイトが重くなることがある。そうなると友達の家で時間を過ごしたり、自宅で一人親を待つ、思いを誰にも聞いてもらえない、ゲームに興じるなど、子どもたちの生活も激変するんです。そんな時でも、お米くらいは洗って炊いて1人で食べれるような最低限の生きる力をつける場があって欲しいと、低学年の子どもを集めて1階のキッチンで食事を作って教えることを始めました。子ども食堂があちこちにできてきた時期ですが、創遊館では子どもたちも一緒に調理に参加します。卒園した中学や高校生も手伝いに来てくれてます。
ーーー全員加盟のOB会って凄いことですね。4年前から始めた学童保育についても教えてください。
(久保)地域の学童がいっぱい過ぎて、子どもを安心して預けられない。3階の職員休憩室を開放して、卒園児限定で人数も3年生までに制限して学童を始めました。無認可の自主運営ですが、夏休みは給食とおやつを出して保育園のプールも利用してます。大変な人気ですが場所に限りがあるので、低学年を優先して4年生からは地域の学童に移ってもらってます。
ーーー保育園の続きでここに通い続けられるのって羨ましい。
地域新聞「いないいないばあ」を年4回配っておられるのも凄いですね。
(久保)年4回、4,000部発行しています。新聞係りの職員は年齢層に幅を持たせた5人、内容についは、各クラスで回覧して赤ペンチェック。手書きの丁寧な作業で地域の皆さんへ伝えたいと思っています。土曜日に職員で分担して撒いていますが、最近は保護者(OB)にも呼びかけて協力してもらってます。一軒一軒に配ることで、高齢者・ひとり暮らしの方など地域の情報を得ることができ、気になることは共有するためにノートを作っていてメモしています。
ーー西七条保育園とは1998年からのお付き合いをさせていただいています。もえぎ設計への印象をお聞かせください。
(久保)旧園舎時代からのお付き合いで、保育の内容を見て知ってもらっているという強み、安心感がある。日常の保育だけでなく行事にも来てくれたり。だから、こちらの考えている思いやイメージが伝わりやすい。思っていることを的確に形にしてもらえる、、、信頼しています。
ーーーこれからの展望などお聞かせいただけますか。
(久保)今後どうなるかはわかりませんが、いつまでも地域の人たちが利用したいと思えるような西七条保育園であり続けたいと思います。学童の充実や、地域向けの離乳食セミナーや妊産婦ケアなどの地域に密着した子育て支援。学校の勉強についていけない子どもたちの塾。60歳で定年して地域に戻った人たちが集まって力の発揮できる場所づくり。第2園のコミュニティー棟などを利用すれば、まだまだ地域の要望に応えていくことはできると思っています。
ーーーこれからの展開が楽しみですね。本日はお忙しい中、貴重なお時間をありがとうございました。
2024年7月30日 晴れ
聞き手:川本真澄 文:成宮範子 撮影補助:目黒悦子
写真:sarugraph 酒谷薫